普段行き慣れない店ほど怖いものは無いものだと、マルコは小さな体を更に小さくして店の中に佇んでいた。
 夕方のスーパーは正に戦争だ。夕飯に向けてたくさんの主婦が買い物メモと買い物かごを手に、一円でも安いものを求めて店を駆け巡っていく光景はきっと男性には出来ない器用な行為だろう。中には赤い丸印の書かれたチラシや、クーポン券らしきものを持っている人もいる。皆、家族の為に必死なのだ。
 一方、マルコはと言うとそんな波の中、おろおろと店の中を行ったり来たりするだけ。そもそも、スーパーなど余程のことがない限り、男子中学生のマルコが来る場所では無い。行ったとしてもせいぜいお菓子かパンか飲み物売場だろう。
 正直な話、そこ以外の場所には何が置いてあり、何が売っているのかさっぱりなのだ。そもそもどれが安くてどれが高いのかも分からない。タイムセールと言う言葉に釣られてそちらへと行ってはみるが人波に揉まれて買い物どころではないし、人波が落ち着いたかと思うとそこにはタイムセールの品が乗っていたであろうワゴンも無くなっている始末。
「どうしよい…」
 学ラン姿で買い物かご。主婦の中で明らかに浮いているマルコが何とか行き着いた先は、お総菜のコーナーだ。食卓に並べば手抜き品として分類されてしまうであろうお総菜も、今のマルコにとっては有り難いことこの上ない存在だ。
「お、マルコか?」
「へ?」
 ふと、有線放送と周りの雑音に混じって聞こえた自分を呼ぶ声にお総菜から視線を外し、そちらを見ると、そこには見慣れた青年の姿があった。だぼ、とした緩い服装と伸びた髪を後ろで括っているその青年はマルコの家の近所に住むサッチと言う知り合いだ。歳は二十歳で、マルコからしてみれば頼りになる近所のお兄さんと言う感じだろう。
 昔は良く一緒に遊んでいたが、ここ数年はサッチが大学へと通うために一人暮らしを始めてしまった為、会うのはサッチが実家へ帰って来た時くらいだ。
「サッチ!久しぶり」
「ああ、久しぶり。元気にしてっか?」
「う、うん!元気だよい!…ところでサッチはどうしてここのスーパーに?」
 確かサッチが一人暮らしをしているのは隣の市にある大学の近くだった筈。実家に帰って来ているのかと思ったが、時期的に長期の休みがあるとは思えない。首を傾げているマルコに気付いたサッチがごそごそとポケットを探り、一枚のカラフルな紙を取り出した。
「…チラシ?」
「おれの近くにあるスーパーよりもこっちのスーパーの方が安かったんだよ!いやー。貧乏学生だからな、一円でも安いものをゲットしとかねぇと」
「へぇ」
 得意げに胸を張るサッチの姿は、スーパー内にいる主婦とシンクロするものがある。安くて美味しいものを求めて縦横無尽に駆け巡る姿は正に主婦の、いや、主夫の鑑だろう。
 ふと、サッチも抱いた疑問をマルコに投げかける。
「お前こそこんな食品売場で何してんだ?お使いか?」
「あ、いや、その…」
 サッチの問いかけにマルコは肩を竦めて困った様に眉を下げた。なにやら困り事なのだろうか。それなら自分が解決してやるに限るだろうと、兄貴気質なサッチが言葉を続けるように促せば、マルコはゆっくりとその唇を開いた。
「母親が仕事でいなくて。いつもは作り置きとかしてってくれるんだけど、今回は時間が無かったみたいでお金だけ渡されたんだよい」
「ああ」
 マルコは幼い頃に父親を亡くした母子家庭であることは近所に住んでいたサッチも知っている。母親も一人で家庭を支える為、毎日朝から晩まで仕事に出ている事が多く、こうして家を空ける出張も多い。昔は親戚の家に預けられる事もあった様だが、最近は一人で留守番をするようになったとか。
 かと言って、マルコは家事全般をこなせる程の能力はまだ身につけていない。出来る事と言えば、服を放り込めば乾燥までしてくれる洗濯機による洗濯と、全自動食器洗い機に皿を設置することくらい。ましてや家庭科の成績があまり宜しくないマルコが料理をするなど持っての他だ。
 いつもは準備をしてもらっていた食事が今回は無い為、何か買おうと
スーパーにやってきたマルコ。そして今に至ると言うわけだ。
「お前ってば相変わらず甘やかされてるんだな」
「おれがやるって言っても母さんが聞かないんだよい」
「まあ、それは分からない事は無いが…」
 愛する人との間に出来た一人息子に苦労をかけたくないのは分かるが、些か過保護に育てられてしまったのが偶に傷だ。現にこうしてスーパーでどうしたら良いのか分からなくなっているのだから、もう少し世間を知るべきだろう。
 かと言って、このままマルコを放って置くわけにもいかない。どうやら、自分も相当マルコには甘いらしい。
「あの、よ、おれの部屋に飯でも食いにくるか?」
「へ?」
「どうせ一人暮らしの一人飯だ。二人の方が楽しいだろうし…あ、何なら泊まりに来るか?」
「え、さ、さっち…!」
「あ、家を空けたらいけないってんならおれが遊びに行ってやっても良いぞ」
 出していたチラシを再びポケットしまい、にっこりとマルコへ笑顔を向けたサッチは、我ながら良い提案だと思った。一人暮らしは気楽だが、偶に一人が異様に寂しくなる。だからと言って、寂しいから、と言う理由で実家に帰るのも気恥ずかしい。それならこうして誘いやすい馴染みを部屋に呼べば良いのだから。
「でも、わ、悪いよい!友達とか、か、」
「か?」
「彼女、とか来たらどうするんだよい…」
「彼女!そんなもんいねぇって!寧ろ大募集中だってーの」
「そう、なのかよい」
「ん、なんだ?いるように見えたのか?」
「…そう言えば見えない」
「嫌味か畜生ー!まあとにかく、お前が来て困ることは何もねぇよ。どうだ?」
 自分より小さなマルコと視線を合わせるように身を屈めるのは幼い頃から付き合う故に行うサッチの癖だ。いい加減子供じゃないんだから止めて欲しいと随分前に怒られた事はあるが、平均より小柄なマルコと、大柄なサッチではこうした方が視線を絡め易く、会話もスムーズに行える。
 身を屈め、マルコと表情を近付けてきたサッチに一瞬戸惑いながらも、マルコは小さく、返答を落とした。
「おれ、あの…サッチが良いなら泊まりに行きたいよい!」
「そっか。じゃあ来い!」
「ちょ、サッチ!子供扱いするなよい!」
 満面の笑みでがしがしとマルコの頭を撫でるサッチは久しぶりに会った弟分にご満悦だ。マルコもマルコで、子供扱いをされたことで少し気分を損ねたが、それ以上に心を支配したのは、久々に誰かと一緒にご飯が食べれる、誰かと一緒に眠りにつけると言う嬉しさだ。
「よし、そうと決まればおれの料理の腕が鳴るぜ!」
「え?サッチって料理出来るのかよい」
「馬鹿にするなよ!おれはこう見えて料理は得意なんだぞ」
「へぇ、じゃあ夕飯は期待出来るねい」
「まあな!あ、マルコは何が好きなんだ?作れる範囲で作ってやるよ」
「え、ほ、本当かよい!」
「ああ、遠慮すんな!おれとお前の仲じゃねぇか!」
 サッチの言葉に子供らしい表情を見せたマルコはどうしようかと頭の中に自分の好きなメニューを浮かべる。忙しい母親に負担をかけない為、作られたものへは文句を言わずに食べてきた彼にとって、この機会は滅多にないチャンスなのだ。本来なら遠慮をして何でも良い、と言ってしまいそうだが、相手は昔から共にいるサッチ。遠慮など不要だろう。
「えと、じゃあ…ハ、」
「ん?」
「…ハンバーグ」
 少し子供っぽいチョイスだと思ったが、今の自分の胃袋はこれを求めたのだ。鍋に湯を沸かして、その湯でぐつぐつと温めるインスタントのハンバーグでは無い。きちんとした挽き肉から作られるハンバーグがマルコは食べたかったのだ。
 そしてサッチ自身もマルコの大好物がハンバーグだと言うことを知っており、だからこそこうして正直に甘えてくれたことが素直に嬉しい。親に甘えられないのでは無く、親に遠慮をしてしまう優しい子なのだ。今日くらい遠慮なしに甘えさせてやっても、きっと罰は当たらないだろう。最もそれが自分で良いのかと少し申し訳ない気持ちもあったが。
「ハンバーグな!よし、足りない材料を買っていくか」
 サッチはマルコが所望するハンバーグのレシピを頭に浮かべ、それから家にある材料を抜いて行く。指を折って確認し、買うものを整理したサッチはマルコを引き連れてスーパーの人混みを進んで、お目当てのものをかごの中へと放り込んだ。