気候は夏島に差し掛かった頃だろうか。室内に入れば自然と肌に浮き出る汗が洋服へと染み込み、そのまま甲板に足を運べば海風がその汗を冷やして通り抜ける。これからますます暑くなる為、水分の確保、食料の保存をしっかりしなければならないと船の中は少しばかり忙しかった。最も、この白い鯨からしてみればもう何度も体験をした海域の横断。忙しくはなるが飛び抜けた混乱がある訳でも無く、当番以外の面々はいつもの様に自由気ままの生活を送っていた。
そんな中、一人の少年は自分を包み込む暑い空気など気にも止めず、一際気合いの入った働きをしており、周りの大人達もそんな一生懸命な姿を見て、にこり、と笑顔を作る。
彼の名前はサッチ。三日前にこの船に乗り込んだ十歳の海賊見習いだ。
重い荷物のやりとりでさえ楽しそうに行うサッチの姿を見ていればその気持ちが嫌でも伝わって来る。少なくとも周りの大人達はそう感じていた。
「サッチ」
「ジョズ、さん!」
「おいおい、俺たちは家族になったんだ。敬語なんて使わなくて良いんだぞ?」
「う、うん!ジョズ」
家族と言う自分が所属する括りにむず痒さを覚えたサッチを呼んだのは、世話係も兼ねている先輩クルーのジョズだ。優しい笑みを浮かべるジョズは厳つい見かけによらず世話焼きで何だかんだで人付き合いが上手い男だとサッチは話で聞いていた。現にこうして船に乗って三日しか経っていないサッチとも仲良くやっており、サッチもジョズにはかなり懐いている。世話係に任命した親父こと、白ひげの目は正しかったと言うことだ。
そんなきらきらと憧れの念を含ませた視線を自分の世話係への向けていたサッチへ向かって飛んできたのは、綺麗なタオル。正確にはジョズがサッチへと投げたものだ。
「担当の荷物運びはもう終わりだ。お疲れ様」
「うん!」
「そういえば、お前はまだこの船の風呂に入って無かったな。ついでだから入って来るか?」
「風呂?」
サッチはその自分にはあまり身に覚えのない施設の名に思わず疑問系で言葉を吐いた。
以前サッチが生活を置いていた場所はスラム街であり、文無しの生活の中風呂になんて入る機会など早々に無かった。辛うじて体を清められるものと言えば山の中の川や泉。つまり今のサッチは、きちんとした『風呂』と言う施設は完全に初めての状態なのだ。
「風呂場に行けば誰かしらいるだろうから、色々教えて貰え」
サッチが頷いたことを確認すると、ジョズは大浴場の場所を簡単に説明し、自分の入浴道具を持たせた。いくらこのモビーディックが大人数を収容できる船とは言え、大浴場に個人の道具を置いていては整理や掃除も大変な上に、大浴場が物でごった返してしまう。その為、シャンプーや石鹸、タオルや桶は全て自分で準備をしなければならないらしく、サッチは次の島で買い物をしなければならないな、と自分の脳内へと記録した。
ジョズに見送られ、教えられた通りの廊下を進むサッチは子供特有の冒険心を高鳴らせながら大浴場へと足を向ける。何せこの船に乗ってからまだ三日しか経っていないのだから、まだ行っていない部屋もたくさんあるし、他にもまだまだ知らない設備がたくさんなのだ。
ここは三日前から自分の家。自分の家で分からないことがあるなんて何だか勿体無く思い、サッチは風呂から上がったら少しだけ冒険をしてみようと決心するのだった。
「えーと、この廊下の突き当たり…」
自分の記憶が正しければこの先には大浴場がある筈だ。入浴道具を抱え直し、角を曲がればそこにはジョズが言った通り、大浴場と言う木の板に筆文字で書かれた立派な札が掲げられおり、サッチが無事に目的地へと着いたことを示していた。
初めての風呂に心を期待に踊らせ、廊下を軋ませながら扉に近づいていくサッチであったが、その足取りは廊下を真ん中辺りでぴたりと止まってしまう。
「…!」
風呂へと向かう廊下にはいくつも部屋があったが、その中の一つの扉が開いていた。その開いていた部屋を通り過ぎる際、吸い寄せられるように向いた視線は一人の影を捉える。その人物が会ったことのある大人であればそのまま風呂へと直行したのだが、その部屋にいたのは知らない顔の自分と同じ歳くらいの少年だった。
金色の髪の毛と眠たそうな瞼から覗く綺麗な瞳が印象的なその少年は部屋の机に置かれたピッチャーからコップへと水を注ぎ、こくり、と喉を鳴らしてそれを体内へと取り込んだ。
一つ一つの行動に迷いが無いことから、この船のクルーだと推測出来る彼の存在は今のサッチに取っては心を安心させるものだった。何せ周りは自分の倍以上歳をくっている男性ばかりなのだ。いくら可愛がって貰えるとは言え、やはり歳の近い家族は欲しかった。
ふと、その行為を終えた少年とサッチの視線が結ばれる。
「…?」
「あ、あの、おれサッチ!三日前から船に乗ってんだ」
慌てて部屋へ体を滑り込ませ、その少年との距離を詰めたサッチは屈託の無い笑顔で軽い自己紹介を口にした。当の少年は驚きで瞳を泳がせる。当たり前と言えば当たり前、いきなり自分の知らない少年が現れ、自己紹介を始めたのだから。しかし、子供特有の本能だろうか、すぐにその金髪の少年もにこり、と微笑んで厚めの唇で言葉を作り出した。
「おれ、マルコ。この船のクルーだよい。よろしくねい」
「ん、よろしくな」
行動を見る限り拒絶はしてされておらず、ホッと胸を撫で下ろしたサッチは挨拶も兼ねて握手を求める手を差し出した。伸ばされた手に一瞬、恥ずかしそうに肩を竦めたマルコであったが躊躇いがちに伸びた手はしっかりとサッチの手を掴んで力を込められた。少しだけ高いサッチの体温と、少しだけ低いマルコの体温がじわりと混ざり合ったのを合図に、二人の手は離される。
サッチから離れた手を見つめて嬉しそうにするマルコが視界に入り、サッチも自然と笑顔が深くなる。何となく、マルコとは仲良くなれそうな気がしたからだ。
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