ひらひらと視界を横切る白はまるで雪の様に見えるが、それはれっきとした桜の花びらだ。髪に居座った花びらを摘まんで、春と言う季節を実感すれば自然と高鳴るのは自分の幼い心。人間は気候が異なるだけでこんなにも気分が違うのかと、マルコは自分が不思議で仕方無かった。
つい先日まで大好きな白い鯨が航海をしていたのは真っ白な雪が降り続き、周りの海にも氷の塊が浮いているような極寒気候だった。マルコ自身元々夏島出身の為、暑さにはとても強いのだが、その分寒さには滅法弱い。しかし、その反動なのか冬島気候を抜けた後のマルコはとても元気だった。楽しげに仕事をこなすマルコの姿に、周りの見習い達や大人達も上機嫌だ。
「グラララ、今日は随分と機嫌が良いじゃねぇか、マルコ」
 そんなマルコに話しかけてきたのは皆が慕う白ひげその人。マルコはと言うと、大好きな白ひげに話しかけられた事、そして過ごしやすい気候も助けてか、それこそ花が咲きそうな満面の笑みでその人物を見上げた。
「上機嫌だよい!」
「そうか。それは何よりだ」
「親父、ちょっと…」
そんな二人のやり取りへと申し訳なさそうに割って入って来たのは親友のサッチが所属する四番隊の隊長だ。敬愛する白ひげともう少し話をしていたかったが、大人二人の会話を邪魔する程自身は子供では無いと思っているマルコは始まった二人の会話を確認し、その場からゆっくりと離れたのだ。
ただ、やはり話しの内容は気になる。コロコロと空の樽を甲板で転がしながら二人の会話を盗み聞いてみたが、それは在庫管理やログが溜まる期間、近辺の海軍動向等の真面目な話しでマルコには退屈なものばかりだった。唯一興味をそそられたのはこの島が地酒で有名だという事。この島に上陸してから酒の匂いがどことなく漂っているような気がしたのはその為らしい。
マルコ自身、酒の匂いは好きだったりする。それは敬愛する白ひげの匂いでもあり、大好きな家族が楽しく騒ぎ立てる宴の匂いだと脳が認識しているからだ。しかし、マルコは残念ながらその酒を煽ることは出来ない。何故なら子供達の健康を気にしている白ひげの命により、白ひげ海賊団内では十五歳以下の飲酒を禁止しているからだ。最も白ひげ自身、船医達からは子供達より自分の体調を大切にしろ、と説教を貰ってはいるが。
大人と子供の狭間と言える年齢のマルコにとって酒は魅力的な大人の嗜好品だ。自分は子供では無いと主張をしたい年頃と言えば説明がつくだろうか。
焦らなくたって大人になる。あと二年待てば酒が飲めるようになる。こそこそ飲むよりは堂々と飲んだ方が美味しいに決まっている。そう自分に言い聞かせながらマルコは漂う酒の匂いを肺一杯に吸い込むのだ。
酒を入れる空の樽や食糧を入れる木箱を上陸している家族に受け渡す行為を繰り返し、四往復目をしようとした時、自分を呼ぶ声が鼓膜を擽った。そちらを見れば、手招きをする隊長の姿と上機嫌な白ひげの姿。何の用だろうかと傍に寄れば、隊長から何も言わずに渡されたのは1本の酒瓶。そして、告げられたのはその酒瓶をある人物へ伝言と共に届ける仕事だ。
「……これをロジャーに?」
「ああ、さっき街の様子を見に行ったらロジャーのとこのクルーに会ってな。ここの反対側に船を停泊してるそうだ」
「久々に同じ島に上陸したんだ、酒でも付き合え。その伝言をその誘い酒と一緒にロジャーへ届けてくれねぇか?」
豪快な笑いを浮かべて、そう告げた白ひげをマルコはきょとん、とした表情で見上げた。
「おれで良いのかよい?」
「お前が行った方が喜ぶ奴が、いるだろう。それに、お前も会いたいんじゃねぇのか?アイツに」
「お、親父!」
「マルコが行った方が喜ぶ奴?マルコが会いたい奴?ロジャーか?」
「誰も喜ばないよい!」
「ま、良いか。迷子になるなよ。あと獣化も禁止だ。目立つからな。それから、寄り道は」
「おれは子供じゃないよいっ!ああ、もう行ってきます!」
白ひげの核心のついた言葉に大分取り乱したマルコだったが、その後に続けられた隊長の子供扱いとも取れる発言が怒りを運んできたおかげでその乱れは落ち着きを取り戻した。
しかし、親には何でもお見通しとは正にこの事なのだろうか。白ひげが指し示す人物をマルコは勿論分かっている。それは、ゴール・D・ロジャーの片腕である副船長、冥王シルバーズ・レイリーの事。レイリーはマルコの事を大層気に入っている。しかし、それはあくまで不死鳥と言う特殊な能力を気に入り、仲間にしたいとか手元に置きたいとかそう言う一般的な珍しい物好きな感情…だと思っているのが周りの面々。本当の気持ちは、マルコのみが知る特別な感情であり、こうしてマルコが戸惑う原因でもある。それは例えるならば恋愛感情。自分にはまだ早い愛の言葉と行為を何度も繰り返され、気が付けばいつもレイリーの事を考えているのが事実であり、胸が苦しい全てもの始まり。
―わからない。
しかし、その自分の苦しみが何なのかはマルコ自身、未だに良くわかってはいない。生まれてこのかた恋と言う甘い経験もしたことも無いし、恋愛感情の様なものも抱いた事が無いのだから仕方ないと言えば仕方無いだろうが。そんな味わったことの無い感情に振り回される自分が馬鹿みたいだと思うマルコは自然に眉間へとしわを寄せていた。
「あー、もー!」
「ん、マルコか?」
そんな、自分らしくない百面相をしているマルコを呼ぶ声は今のマルコにとって心臓へ大打撃を与える一撃必殺。危うく落としそうになってしまった酒瓶を何とか抱え込み、息を吐くが安心してなどいられない。恐る恐る声が発せられた方向へと、焦りの映った表情を向ければそこには楽しそうな笑みを浮かべる知り過ぎた顔。しかし、その知り過ぎた顔は正に今の自分のお使いの終着地点であるロジャーであった。
「ロジャー!」
「よ!元気そうじゃねぇか」
手をひらり、と振られたのを合図にマルコは酒瓶を落とさぬ様ロジャーの元へと走り出す。
「おいおい、走るなって。転ぶだろ?」
「転ばないよい!もう子供じゃないんだからっ!」
「そうか?おれや白ひげからしてみればお前はいつまでも子供だけどな」
「うう、ロジャーは意地悪だよい!」
楽しそうに自分の頭を撫でるロジャーに上目で睨みをきかせるマルコだが、ロジャーからしてみればそんな姿すら可愛い子供の抵抗であり元気な証拠。にこにこと久々に会った敵船の見習いにご満悦だ。
「白ひげが上陸したって話は本当だったのか」
「あ!」
「ん、どうした?」
「これ、親父からだよい!」
そう告げ、ロジャーに手渡したのは自分が先程まで大事に抱えていた酒瓶。ロジャーが確実にそれを受け取ったのを確認したマルコはそこからゆっくりと手を離し、目的を果たした事による安堵の息を漏らす。
「酒、か」
「前酒だよい!あと、 久々に同じ島に上陸したんだ、酒でも付き合え。って親父が」
「そうか。まあ悪い話しじゃねぇな」
そう呟き、瓶の中の酒の音を確認したロジャーは先程とは少し異なるどこか柔らかさを帯びた笑顔でその酒の銘柄を視界に入れた。その銘柄はマルコも知っているロジャーの好きな銘柄。勿論、白ひげもそれを承知で毎回この銘柄の酒を前酒とし、そして時には土産としてロジャーへと送っている。例えるなら好敵手。マルコは二人の関係をそう理解しており、ロジャーの事も敵船の船長ではあるが嫌いでは無い。
「どうせログが溜まるまで暇だからな。良いぞ」
「じゃあ親父に伝えておくよい!場所と時間はどうするよい?」
「そうだな、場所はさっき見かけた大きな酒場が妥当だろうな。時間は」
ロジャーの言う事を白ひげに伝えるまでがお使いなのだ。そんな事を一心に思いながら用件一つ一つを一生懸命頭に叩き込んでいたマルコであったが、それは視界をちらついた一人の人物によって一気に脳内から消え去ってしまった。
「ん?どうした、マルコ」
「レイリー…」
その呼び名は本当に小さなものだったが、傍に居たロジャーに彼の存在を知らせるには十分なものだ。マルコの視線の先には自分の相棒として位置を置く副船長の姿。しかし、その光景が不味かった。女を口説くレイリーの、姿は。
久々にレイリーに会えて嬉しいと思うよりもマルコが先に感じたのは、胸の中がもやもやとする普段は感じる事の無いもの。それと同時に湧き上がるのはどうしようもない怒りだ。レイリーが女好きである事はマルコ自身、百も承知だが何もこんな真っ昼間からそんな事をしなくても良いのでは無いだろうか。最も、レイリーはマルコに気付いてはいないのだろうが。
「むぅ」
ぷく、と頬を膨らまし、レイリーを睨むマルコは最早気持ちの整理など出来ない程の怒りに満ちていた。正直なところどうして自分はこんなに怒りを感じているのかわからない。ただ、どうしようも出来ないほど嫌な気持ちになっている事だけは理解出来る訳で。そんな怒りが自然と体外に漏れていたのか、それを感じたらしいレイリーが女性から目を離し、こちらを一心に睨む少年と視線を結んだ。最もそれはマルコによって直ぐに切られてしまったが。
「マルコ」
いくつかの間を置いて鼓膜を擽ったのは久しい、彼の声。どうやら女性とのやり取りを終えてこちらへと向かって来たらしい。女性よりも自分を優先してくれた事は素直に嬉しいが、先程の行為は実に頂けない事だとマルコは俯いたまま唇を尖らせるのだ。
「久しぶりだな」
「……」
「怒っているのか?」
「別に」
「ふむ、嫉妬か」
「っ誰が!」
ぱ、と弾けた様に顔を上げたマルコと、意地悪な冥王と呼ばれる男の笑顔が再び結ばれる。慌てて顔を元の位置に戻そうと試みたが、それは瞬時に伸ばされた手が顎を固定した為、実行出来なくなってしまった。無理に合わされた視線と、急激に上がる体温。先程の怒りによるものとは違う何かが、マルコを襲って脳内の思考をぐしゃぐしゃにして行く合図だ。
「会いたかったよ、マルコ」
「嘘ばっか」
「…悪かった。君を怒らせるつもりじゃなかったんだが」
「おれに見られるつもりは無かった、の間違いだろい?」
「にっひひ、お使いに来た不死鳥様は相当不機嫌らしいな」
二人のやり取りを見ていたロジャーは楽しそうに会話に入るが、マルコにとっては何も面白くない。ロジャーからしてみればこの気の多い男のいざこざは日常茶飯事だろうが、マルコにとっては不快以外の何物でもないのだ。自分が一番好きだと言ってくれているのに、どうしてこんな事が平気で出来るのか、申し訳ないがマルコには理解しがたいものだ。最も、自分に対する気持ちもこれでは本物か分からないが。
「ガキだからって」
「ん?」
「馬鹿にすんのも、いい加減にしろよい」
「馬鹿になんてしていない」
それに反論をしようとした時、その唇に押し付けられたのは他でもない。レイリーの唇だ。前触れ無く行為を行うのはこの男の悪い癖だと思ってはいたが、何もこんな人通りが多い道でこんな事をしなくても良いのではないだろうか。しかし、顔を逸らそうにも捕らえれた顎は逃げ出す術を持たなくて、無意識に閉じられた瞼がふるり、と震えた。
「んんっ!」
苦しさに酸素を取り込もうとした唇に他人の熱が触れる感触。それが舌だと認識して拒絶をしようと試みても、上手い具合に入り込むそれをマルコは上手く吐き出せない。入り込んだ熱から生まれる音に脳が刺激されて、体の動きを制限していく。
「そこまでだ」
「ぷはっ!」
徐々に苦しさを覚えた時、繋がりを保っていた唇が水気を帯びて離された。それはレイリーの意思では無く、置き去りを余儀なくされていたロジャーが無理矢理引き離した行為。荒くなった呼吸を何とか整えるマルコとは逆に、何事も無かったかの様に自分の船の船長を睨むのはレイリーだ。
「何をするんだ」
「お前な、もう少し人目を気にしろ。あと子供に無茶をさせるな」
「お、おれは、子供じゃないよいっ!」
「ほう」
濡れた唇を袖で拭いながら必死に自分は子供では無い事をアピールしたマルコであったが、それは正に自殺行為。ぎらり、とメガネの下で光った瞳の色は捕食者の目だ。そんな瞳の色をした海王類をつい最近見た様な…そんな事を冷静に思っていたマルコは次の瞬間、自分の足裏と地面が切り離される感覚に襲われた。
「ひ…!」
短い悲鳴は体がレイリーに持ち上げられた事の合図。先程は見上げる位置にあったレイリーの顔が直ぐ目の前に現れた事による羞恥心は計り知れない。にこり、と緩んだ表情が、何だか怖い。
「あの、レイリー?」
「子供じゃないのなら、さっき以上の事もしても大丈夫と言う事だね」
「さっき以上?」
「取りあえず二人きりでどこかへ行こうか」
「あ、え、ちょっと…っひあ!」
肌蹴た鎖骨に這ったレイリーの舌先は先程同様前触れの無いもので、思わず高い声が上がる。まるで味見。大好物を目の前にして、最高に美味しい状況まで持っていって味わおうとしている、そんな肉食動物の意地悪な一面だ。
「うう、レイリー!ダメだってばぁ!」
「マルコ」
「?」
「会いたかったよ」
再び発せられた気持ちを乗せた言葉と、真剣な眼差しの対象となっている少年は思わず心臓を跳ね上げる。その表情を見られたくなくて、反射的に自分を抱き上げたレイリーに抱きついたマルコは、うー、と低く唸りながら言葉を詰まらせた。
大人はずるい。いや、この男は本当にずるい。こんな風に先程の女性に向けていた眼差しと自分への眼差しの違いを見せつけられたら、その本気は素直に受け取るしか無いじゃないか。嬉しさと、戸惑いと、どうにもならない不思議な気持ちでいっぱいいっぱいの自分が唯一はっきりさせた気持ちは、そんな捧げられた気持ちが嬉しいと言うもの。
「お、れも」
「ん?」
「会いたかったよい」
この言葉を出すのにどれだけの時間を費やしただろうか。本当は、久しぶりに出会えたことが嬉しくて素直に抱きつきたかったのに、マルコはそれが出来ない子なのだ。感情を表に出す事が恥ずかしい、そしてクールに振舞う事が大人だと思っている年頃だと言ってしまえばそれまで。それと同時に、レイリーに対する気持ちの整理が付いていないのがもう一つの理由だ。この、自分では分からないもやもやとした感情は何なのか、と言う単純なものの整理が。
「そうか」
そんなマルコを抱き上げる腕の力を強くしたレイリーは、マルコと違い大人だ。思春期の複雑な心を察してあげることは出来ないが、それを包み込んであげる優しさは持ち合わせている。素直過ぎる感情と、素直になれない感情。心の根本は同じな筈なのに、恋とは複雑なものだと傍にいるロジャーは苦笑いを浮かべた。
「レイリー、あの」
「どうしたんだ?」
「おれ、親父のお使い中なんだい。だから終わるまではどこにも行けないよい」
「そのお使いはもう終わったのか?」
「ん、あとは親父に報告するだけだよい」
「じゃあ、白ひげに報告してまたここにおいで。そうしたら一緒にどこかへ行こう」
とん、と抱え上げていた不死鳥の雛を地面に下ろしたレイリーは驚きの表情を浮かべるマルコに優しい笑顔を向けた。勿論それはマルコにとってはとても安心出来るもので、再び心臓が小さく跳ねる。
「嫌か?」
「…ううん、い、行く!レイリーと一緒に、どこか行きたいよい!」
「そうか。じゃあまた後で」
「ん!」
肩を上げて首を縦に振った姿は先程より少しだけ緊張が解けた様に見えた。出会う前は不安で、そして出会ってからはあのナンパの事もあり怒りが気持ちを支配していたが、何て事は無い。本当に会いたくて仕方の無かった存在なのだから、こうして嬉しさの滲み出る姿は当然のものだろう。
足取り軽く白い鯨が停泊している港へと向かうマルコの後ろ姿をレイリーとロジャーは優しく見送った。しかし、その表情は直ぐに歪められ、少しだけ冷気を帯びたロジャーの瞳が相棒と呼ぶレイリーへと向けられる。
「ずるいな、お前は」
「何がだ?」
「すっとぼけんな。マルコが来たのを確認してからナンパをしただろ?」
「……」
「あんまりいじめてやるな。難しい年頃なんだからよ」
「好きな子に嫉妬をさせる事くらい、良いだろう」
「悪趣味だな」
「恋愛は人それぞれだ」
「そうか」