時間が無いと言う自覚はあった。しかし、その時間は確実に時を刻み、一生懸命に動かす足をあざ笑うかの様に過ぎていく。もとはと言えば訓練に没頭し過ぎて時間を気にしなかった自分が悪いが、訓練場には他の同僚もいたはずだ。気がつけばいなくなっていたが。
 自分はあまり人と仲良くしよう何て気を起こさない人間。だから時間の経過を親切に教えてくれる同僚など、いない。集団行動が大切だとは海軍に入隊した以上、自覚をしてはいるがどうも昔から人付き合いは苦手なのだ。はぁ。とらしくない息を吐いて、本部内に立っている時計の針を追う。まずい。どう頑張っても次の訓練場に間に合う気がしない。
言い訳などする気は無いが、やはり上官のお叱りは怖い。何より仮にも優等生で通っている自分の評判に傷を付けるのはプライドが許さないのだ。焦れば焦るほど体が上手く動かない。重なる苛立ち。それをあざ笑うかの如く吹く向かい風。途端、被っていた帽子がその風の流れに上手く乗ってしまった。いっそ、自分がその風に乗って次の訓練場まで向かいたいくらいだ、と舌打ちをして手を伸ばすが届かない。
 帽子は入隊後、制服と同様二年単位でしか支給がされないのだ。これを無くしてしまっては自分はこれから先一年以上、帽子無しの海兵生活を送らねばいけない。新兵としてそれだけは避けなければと自分が向かう方向とは逆の方向に飛ばされた帽子を必死に追いかけるが、風の流れに人が追いつける筈がない。
「ま、待てって!」
 まるで子供の様に帽子と風に問いかけるが残念ながらその問いかけに二つは答えてくれない。ここまでついていないと何もかもが嫌になってくる。時計の針は無情にも訓練開始の時間を刻み、終わりを告げた。今すぐここに伏せ込みたい気持ちを我慢して再度帽子に手を伸ばそうとした時、ふわり、とその帽子をいとも簡単に掴む一人の人物が視界に入った。
 足の動きを止め、乱れた息を整えながら失礼のない程度にその人物を視線で追い、自分の記憶の糸に触れた瞬間、サカズキはぎょ、と目を見開いた。ひらりひらり、と空中に帽子を泳がせ、優しい笑みを浮かべる彼女はその持っている帽子を散歩好きな帽子だよ、と驚く彼へとかぶせた。
 風に再び飛ばされない様に自ら深く帽子をかぶり直した時、さらり、と彼女の長い銀髪が風に流れ、淡い色の瞳と初めて目があう。真っ直ぐに自分を見つめる彼女は、海軍本部内で有名と言って言い、女上官…名をつる。
 入隊二年目にして確実な地位に就き、既に上層部の会議に呼ばれていたと言う、未来の大参謀としては十分過ぎる頭脳の持ち主。勿論、今現在も確実な成果を上げており、数少ない女性海兵の希望である。また、その真っ直ぐでクール、なおかつ凛とした姿は女性だけでは無く男性の憧れでもある。それは海兵としても然り、一人の女性としても、だ。
「この辺りは建物の位置のせいで海風が強い。次回からな気をつけな」
「は、はい!失礼致しました!」
 そして、彼…入隊一年目のサカズキもまた、彼女に憧れを抱く一人だ。正確には旧海軍本部三部隊、Dチームに憧れを抱いている、と言った方が良いかもしれない。
旧海軍本部三部隊、Dチームは七年前、つるが所属していたスリーマンセルのチーム名称。メンバーは当時入隊二年目の曹長であったつると、入隊一年目のガープ、センゴク。喧嘩ばかりの問題児二人が詰め込まれ、優等生が面倒を見るだけのチームだと周りは笑ったらしいが、そのチームはいろんな意味でずば抜けていたとか。現に、残りの二人も今では海兵の憧れとなる程の存在となっており、将来の絶対的地位は約束されたも同然だ。
 そんな憧れの人物の一人と言葉を交わせた嬉しさと同時に、自分の失態を見せてしまったと言う悔しさもまた同時にこみ上げ、とても複雑だ。